私は大学を出て、中学・高校教諭を経験したのち養護学校に13年間勤務してきました。常に障害を持つ子供たちとその家族に接してきました。進路指導では、保護者の「私たちがいなくなった後この子はどうやって生きていけばよいのでしょうか?」という切実な思いに心を傷めてきました。また身内にも若いうちから精神障害に悩む者がおります。
定年退職して還暦になり、今まで送ってきた教員生活ではできない、人に役立つ仕事をするという決意をもって独立開業いたしました。
2017年に亡くなった日野原重明さんの次の言葉には、心うたれるものがあります。『自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない。』『人間の夢見る幸福というのは、往々にして、貧乏するとか、仕事に失敗するとかあるいは病気にかかるということによって、一瞬にして不幸に変わってしまうような、はかないものである。病のなかにも心の幸福を得るためには、どうしたらよいかということを、考えなくてはならない。』『私たちに与えられた恵みを数えてみれば、どんな逆境にあったとしても、受けているものの方が、与えるものよりも多いことに気付く。受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである。』
そういう私も、人間ドックで脳動脈瘤が見つかりました。幸いなことに早く見つかり手術はしないで経過観察をしております。人のいのちは自分で選んで得たものではなく与えられたものだとつくづく感じます。与えられたいのちを感謝して他の人にお返しをする仕事として障害者雇用の業務をするに至りました。
障害者雇用プロデューサーである私がめざすものは、障害を持つ方、障害を持つ方を雇用する経営者のお気持ちに寄り添い、困ったことに対するワンストップサービスを提供することです。
多様な人材を活用することで生産性を上げ、企業の成長と個人の幸せを両立させるダイバーシティに貢献して共生社会の実現をめざします。是非お役に立てるように頑張らせてください。よろしくお願いいたします。

     ハートコンサルティング 代表  松浦 克


        代表プロフィール

1958年 東京都中央区入船町に生まれる 父に連れられて銀ぶら(銀座界隈を散歩)によく行った 下町のわんぱくグループの下っ端に所属 よく友達に泣かされて家に帰ってきた 名前が克(つよし)なので「よわし」とからわれたこともあった

1966年 小学校2年 大阪府茨木市へ転居 担任の先生に文武両道を鍛えられる

1970年 中学1年 横浜市へ転居 東京都品川区立平塚中学校へ越境通学

1973年 東京都立小山台高校に入学  文武両道をモットーとする学校であった タテ割り運動会が友人共通の絆

1976年 真面目に学歴社会への疑問から教育学を学んでやろうと思い、大学は教育学部だけを受験 早稲田大学入学後友人と学習塾を始める 勉強だけでなく遠足や映画会など人格教育にあこがれていた いつかは独立開業してみたいとこのころ考え始める

1980年 神奈川県の中学校の教員になる 理想と現実のはざまに悩むこともあったが 教え子に恵まれて辞めずに続けることができた

1987年 高校教員になると同時に結婚 自分と価値観が違う人間と共同生活することの現実を味わう

2003年 民間派遣研修で横浜銀行に1年お世話になる 学校以外の世界を経験してとても勉強になった

2005年 小田原養護学校へ 初めて知的障害の児童に接して戸惑うこともあったが、子ども・保護者・同僚に支えられて8年間過ごす

2013年 平塚養護学校へ 定年までのお勤めをする 進路指導の仕事をしながら 保護者の悩みを何とか解決する方法はないかと探ってきた

2018年4月に社会保険労務士として開業に至る 運営事業所としてハートコンサルティングを立ち上げる 肩書は障害年金案内人と障害者雇用プロデューサー 障害を持つ方・その家族・障害を持つ方を雇用する経営者の気持ちに寄り添ったワンストップサービスをめざし、※ダイバーシティに貢献することを理想としている。

※「多様性」を指す英語。性別や国籍、障害、年齢等の差異を問わずに多様な人材を活用することで生産性を上げ、企業の成長と個人の幸せを同時に目指す概念。